岡田裕

唯一無二の萩焼。作家、岡田裕が魅せる「炎彩」

岡田窯八代目、岡田裕さん。最大の特徴である自身が生み出した技法「炎彩」(えんさい)は、旅先であるシルクロードでみた山々や砂漠、自然をイメージしているそうです。日本の伝統と海外、シルクロードの融合が美しい焼き物となって表現されているその姿は、萩焼初心者でも確かに感じ取ることが出来るでしょう。

今回は、炎彩の誕生と世に出るきっかけとなった運命を変えた出来事に焦点を当てています。

岡田窯の記事

萩市椿東エリアで江戸時代から200年以上続く歴史を持つ窯元「岡田窯」。現在、山口県指定無形文化財萩焼保持者である八代目、岡田裕さんはこれまでの陶芸家人生で数々の賞を受賞しながらも、留まることなく常に新しいことに挑戦する姿が印象的です。今回は[…]

岡田裕さん

シルクロード×萩焼が生み出した技法「炎彩」

岡田裕さん炎彩

── 岡田さんの作品において、最大の特徴である「炎彩」について聞かせてください。

炎彩という技法は、私が40代の時に萩の陶芸作家仲間と行ったシルクロードの旅がきっかけで誕生したものです。当時ウズベキスタンからチベット、パキスタン、中国に行きました。本来であれば、イランなど中東も行きたかったのですが、だんだん危険地帯になってしまい、途中で終わってしまいましたが、とても印象深い旅でした。

日本の自分の仕事場にいると、その環境に満足してしまい、さらに一歩というのがなかなか出てきません。そんな中、自分が生まれたわけでもなく、生活しているわけでもない別天地に行き、その土地で生活する人々の日常、大自然を見ると今までと全然違うイメージや思いが湧いてくるんです。

これをなんとか自分の作品、さらに萩の素材を使って表現できないかと思った事がそもそもの始まりなんです。

シルクロード

── 元々インスピレーションを受けるために海外に行かれたのでしょうか?

あの頃は海外に行きやすくなった頃でもありました。台湾に行ったり、萩焼のルーツである朝鮮半島を訪れましたが、その少し後に中国が開放されて行きやすくなったんです。

私が最初に中国に行った時は、日中国交正常化5周年の時で、まだ中国に行く人がいなかったんですね。

中国には景徳鎮という焼き物の大産地があるのですが、当時は景徳鎮に行くのが陶芸作家の夢でした。それに意味一番乗りに近い形で、我々山口県のグループが行くことになったのです。

── 裕さんは海外がお好きなんですね。

海外は基本的にあんまり好きじゃないんです。近くに行ければいい程度なので、アジア以外はパリに二度行ったことがありますが、やはり自分の仕事に関係ある場所を好んでいます。

特にシルクロードは文化や宗教などが深く関係しているので、我々アートを目指す者にとっては特に大きい要素を占めているのだと思います。

認めて背中を押してくれる人がいること

岡田裕作陶風景

── 日本から遠いシルクロードに行って炎彩を作られて、完成した時はどんな気分でしたか?

最初はそれなりに一生懸命作ったつもりでしたが、やはり伝統の萩焼とは全く違う雰囲気のものだったので注目してもらえませんでした。そんな中、偶然取引先の女性に「これいいじゃない。買う、仕入れるわ」って言われたんです。

「ええ!いや、ちょっと待ってくださいよ。そんなによく見えますか?」とつい言ったのを覚えています。そこで私自身が目覚めました。

まずは、「伝統工芸展に出してみるので、少し待ってください」とお願いして、実際に出展すると、入選したのです。いわば炎彩の処女作です。それまではこんなものを萩の作家が作って評価されるわけがないと自分でも半信半疑でした。

やはり背中を押してくれる人がいると言うのは作家にとっては大変ありがたいことで、励みにもなる事は今でもつくづく感じています。

その一言がなければ途中でやめていたかもしれません。

伝統の精神を使って新しいものをつくる

岡田裕さん作品飯椀

私の若い頃は、今ほど新しいものを取り入れて自分の個性がはっきりした作品を作る時代ではありませんでした。まだ伝統を重んじるという部分が強かったですね。

炎彩を作った頃から、だんだんと伝統的な技術を使いながらも新しい表現、自分なりの表現をいかに出していくかを重要視するようになりました。

そういう意味では私にとってシルクロードの旅は人生の大きなターニングポイント、転機になりました。あれがなければ、今だに伝統に縛られて、作家としてもそんな人がいたよねという程度で終わっていたかもしれません。

アートで時代を先取りしていく

萩焼作家岡田裕さん

── これからも新しい作品を残していく予定ですか?

炎彩を沢山創作してきて、辞めるつもりはないのですが、私自身さらに萩焼をもう一度見直そうと思っているところです。70歳あたりから、釉薬を使った新しい表現をしようと取り組み始めました。

伝統的なものを使いながらも視点を変え、周りを見回しても皆工夫しているのが良く分かります。私自身ももっと、伝統だからということではなく、伝統の精神を使って新しい表現をしていかなくてはいけないという風に思い、一念発起しています。

── なんだか焼き物のイメージが変わりました。焼き物は歴史があってそれをずっと引き継いでいくものだと思っていました。

今では世の中の物質文明の発達により、携帯電話でも一年のうちに何回もリニューアルをして、どんどん先に進んでいくわけですね。

その中でアートだけが伝統だなんだと言っている場合ではない、という時代になってきました。常に前進あるのみ、立ち止まったらそれで終わり。それぐらいの時代背景になってきていると思います。

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