写真家「下瀬信雄」
うつりゆく文化の中で、追及の先に見える景色

―――まだまだ追及する日々が続くんですね

死ぬまで、それはね
だんだんカメラが重くなったら小さくなっていく
そのうちスマホになってね
それでもそこでしか表現できないものはあるはずなんだよね
もう目が見えなくなってきて
でも、カメラが映してくれる

歴史と伝統がのこる地

私の先祖は、もともと萩藩に仕えていた家系で、この写真館は、私の父が満州から引き揚げてからこの地で始めました。

この場所は、もともと宿屋街で、ここには、親類の長屋があったと聞いています。私が小さなころから父が写真館を営んでいましたが、

その時は、写真館を継ぐかどうかは考えていませんでしたね。

そんな中、私が17歳の頃に父が亡くなりました。

結果、自分自身が、写真館を継がざるを得なくなってしまった訳ですが、継ぐことになったものの、当時、写真を学べるほどの技術が持っている人が地域にはいませんでした。

そういった状況の中、ちょうどその頃、東京に写真学校というものが出来ていましたので、学校卒業後に、短期間ですがその学校に通いはじめました。

移り行く文化

それから、本格的に写真を学ぶことになったのですが、写真は、何を映すかによって全部違うんですね。

ファッションを撮る人もいればドキュメンタリーを撮りに戦争に行く人も、芸術を撮る人もいるんですね。

カメラを持って写真を撮れば、それは、全部写真なんですよね。

そんな時、ちょうど同じ頃に、歌謡界では、シンガーソングライターというものが生まれたんです。

通常は、一曲の曲が生まれるのに作詞家、作曲家と、それぞれ人がいたんですね。

しかし、シンガーソングライターは、ギター一本で作詞・作曲を行い曲で表現しました。

写真も同じなんです。一眼レフというカメラで撮って作品を作る。

自分の小さいカメラで表現ができる。それが面白かったですね。

その時に、写真は用途ではないな、表現だなと思いました。

今振り返ると当時の東京は、本当に才能に溢れていましたね。

まずは、はじめること-

作品づくりに当たっては、興味をもったものをまずはやってみるということにしています。

そうやって写真を撮り始めると意外と面白いと思う部分が見つかってくるんです。

行き当たりばったりですが、それをどうやって作品にするかは次の段階だと私は思っています。

行き当たりばったりを馬鹿にする人もいますが、「犬も歩けば棒にあたる」歩けばなにかにあたる。歩かなければわからない。

ですので、はじめから思い込みすぎたらだめだと思っています。

研究というものは思いこまないと進んでいかないけど、写真の場合は思い込みすぎると失敗すると思っています。

相手のあること-

今現在でも自分自身が追及しているものが何なのかは分かっていませんが、何か追及しているものがあるとは感じています。

もともと、写真というのは相手がいるものなんですね。

その相手に対してはじめから、自分が思いすぎてもいけないと感じています。

それも写真のおもしろいところなんだだと思います。

撮影していると、相手の方もすごいんですよ。自然などもそうですが、いつも相手の方が自分を超えているわけです。

相手は、自分では作れないものなんですからね。

人を撮影するときもそうですね。

人を撮影しようとしてもその人にはなれないですし、相手を呑み込もうとしたって絶対に無理だと思うんです。

そこで対話をしたりインスピレーションを得て自分で相手のことを解読していくしか方法がないんですね。その上で、思い込んでいかないといい写真は撮れないと思います。

一方で、こんなはずだって思いすぎると失敗してしまうんですよね。

芸術と技術の狭間

これまでに、実際いろんなことをやってみました。

写真という作品をやっていてよかったのは、画を描いたり詩を書いたりしていた時代の中で、非常に抽象度が高いものであったことです。

さらに、写真の場合はカメラという機械が介在します。

つまり技術が介在するということです。

この技術が介在するっていうのは面白かったし、当時アートの世界で技術が介在することは下等にみられていた変な先入観がありましたから、写真で文化奨励賞を受賞するということは、これまでありませんでしたが、その後、建築家が文化奨励賞にノミネートされる時代にもなってきて、技術が介在するアートが認められるようになってきましたね。

芸術と技術というのはいつも密接な関係があって、これがあるから楽しいことがあるんですね。

その技術と芸術の狭間にしかないもの、それが面白いんじゃないかなと思います。

そんな中で、作品を通じて表現をするというのは、ある種の癒しです。

作品に接してみんなが少しでも感動してくれたら喜びですね。