毛利公から「天寵山」の名を授かり200年
8代兼田昌尚が目指す深化とは

私の作品を見ていると元気が出るとよく言われます。日常生活の中で、お使いいただいていると、私の作品が他人の日常生活の一部になるんですよね。
作品を通じてそこの生活に自分が他者に関わっていて、何か刺激というか、心を動かせるようなひとつのポイントになれれば作家冥利に尽きるんじゃないでしょうか。

作品づくりに当たっては、こんなのありえないと否定しちゃうとそこで終わっちゃうので、どうしようもないなと思うこともあるけど、一生懸命頑張って次に進まないといけないと思います。

窯元となり小畑焼から萩焼へ

1816年頃になりますが、もともと先祖っていうのは商人だったと言われています。あるとき、窯を起こして、あの毛利公から天寵山っていう名前もらって開業をしたと言われています。

当時、この地域で製造されていた小畑焼というのがあって、初めは小畑焼きという磁器をメインに作っていましたが、その小畑焼きが衰退していき、大正の頃から徐々に萩焼へ移行していったと考えられます。

明治の始めくらいだと思うんですけど、毛利公の100年祭というのがあって、そのときに萩焼で盃とか作ってて、その盃もうちの窯で作ってるんですよ。だから、その頃はもう磁器と萩焼を同時に焼いてたってことになりますよね。

そして、その後に第2次世界大戦を経て現在に至ります。

はじめは、このように作家になるという気持ちは全くありませんでした。私にとって、小さいころから仕事場が遊び場だったんですね。ですので子供の頃は、なかなかイメージできなかったんだと思います。しかし、高校生の頃から少しずつ考え方も変わってきたんですよね。

大学に行ってからは、彫刻を学ぶことになるのですが、彫刻というのは純粋美術なんですよね。一方、焼き物は生活の中で使うものなので工芸の範疇に入れられて、彫刻と比べるとどうしても下のように見えるわけです。

萩焼は壺を作ったり、皿を作って、もうそれはろくろに作らせて、似たようなものを作る。当時の焼き物は、なんの表現もできていないとよく言われました。

そんな中でしたが、私はずっと萩焼にも接してきたので「土」と「焼」っていうこの2点で立体造形を表現していく、そういうテーマで、大学2年間はやってきたんですよね。木彫刻とか石膏彫刻とかはもちろん全部やってきましたが、私にはもともと焼き物も土もある窯もある。ですので、造形という視点で、自然と萩焼を受け継ぐことになりました。

ろくろから離れ精神世界に

作品づくりにおいて、ろくろというものは、完全に自分のものじゃありません。ですので、本当に一生懸命やろうと考えました。自分の体がぼろぼろになるというかですね。もう、ろくろは自分の身体の一部のような感じまで取り組みました。

当然、萩焼っていうのは伝統工芸じゃないですか。その当時は、ほとんどの人と同様に、伝統工芸展に出品して評価を得るということを行っていました。
そうやっていると、だんだん自分で嫌気がさしてきたんですね。この頃が、僕にとって大きな転換期だった気がします。結局ろくろをひいてつぼを作ったり花瓶や皿を作ったりしていて、萩焼なんですけど、もう面白くもなんともないと感じたんですよ。

そんな中で、日々土に触れていると、土そのものの存在感とか、土による造形というものが改めてわかるようになってきました。土は叩くとヘコんでいく、面をとって、面と面を融合させると面白い形になる。その時から、そういう造形という表現の魅力を追求していったら、いつの間にか、ろくろから離れていったんですね。

そして、萩焼による造形とそこにある精神世界を追求していこうと思いました。

萩焼は伝統工芸としてとらえるなら、変わっていっていいと思っています。現代では、ライフスタイルも食もすべてが変わってきていますよね。お茶の世界でも、畳の上に座らない等、環境が変化しています。つまり、時代の変化とともに、焼き物も変わっていっても、私にとって違和感はないと思うんですね。

伝統に根差した新しい萩焼ですが、萩焼の土も変わっていますし、火入れの際に使用する燃料の松も今後どうなるかわかりません。そうなってくると、環境に合わせて、萩焼も変わらざるを得ないと思います。その変化の中で、私たちは、土を取り入れ、釉薬を取り入れ、萩の地でつくる。萩にいるからには萩焼を背負っていますからね。

ありきたりなお皿だけでなく、ごつごつとした食器の中に、ちょっと料理とかを添えてみる。使いづらいなということもあるかもしれません。でも、これを選んだ自分の意識というか存在があるということを見つめることが出来れば、より密度の高い生活スタイルになっていくんじゃないかなというのを勝手に思っています。

次世代へのエールと挑戦

やっぱりオリジナリティーが大事なことだと思うんですよね。僕らの父親の時代は、個性とか言わない時代でした。

しかし、近年は少しずつ自意識とか自己とかオリジナリティーとかが意識されるようになって、これを受け継いでいってほしいと思います。これからも、守りだけじゃなくて攻めること。次の世代の皆さんにも攻めてほしいと思います。攻めていくことが新しい時代を築くことになると思います。

萩焼は、古いものを認めながら新しいものに挑戦できる世界だと思います。

―――今後、作家として

進む「進化」ではなくて深める「深化」の方が好きなんです。作品において表現すること。

今後も、造形を通じて精神世界も含めて追及していきたいと考えています。

自分の作品をどのように表現していくか、これからは、造形と精神世界の中にある課題と作品作りに向き合っていくつもりです。