岡田裕さん

登り窯と萩焼から知る、岡田裕と岡田窯200年の変遷

萩市椿東エリアで江戸時代から200年以上続く歴史を持つ窯元「岡田窯」。現在、山口県指定無形文化財萩焼保持者である八代目、岡田裕さんはこれまでの陶芸家人生で数々の賞を受賞しながらも、留まることなく常に新しいことに挑戦する姿が印象的です。今回は、岡田窯と萩焼作家としての50年についてのインタビューです。

江戸時代から明治維新を越え、令和まで続く窯元

岡田窯入口

── まずは岡田窯について教えてください。

私どもの窯は、明治維新よりだいぶ前、今から約200年前に遡ります。現在、私で8代目を継いでおりますが、初期の頃から登り窯を使い、焼き物を制作して参りました。

── 窯を200年も維持するのは大変ではないのでしょうか。

萩焼の歴史は400年前に遡るのですが、その頃の窯は今ほど丈夫ではありませんでした。特に初期の頃は3年ぐらい経つと崩れたそうです。その度に作り変えられて、今日まで続いてるわけです。

萩では、坂高麗左衛門さんの窯が一番古いのですが、現在5つ目ぐらいになられるそうです。
ここ、岡田窯が始まった頃は、質の良いレンガが出来るようになったこともあり、初代から現在まで同じ窯を修繕しながら使っています。

朝鮮発祥のいくつもの窯が階段状に繋がっていて薪を使う大きな窯。電気やガスの窯よりもコストや手間がかかるが、独特の色合いや艶など登り窯にしか出せない仕上がりとなる。

200年、進化し続ける窯

萩焼珈琲碗

── やはり窯の歴史が古いと、それだけ味のある焼き物が出来るなど違いがあるのでしょうか。

窯そのものが一つの焼き物だとも言われます。焼かれることによって、窯自体も焼き締まり進化します。

登り窯は、10年に1回のペースで大掛かりな修繕をします。崩れたり他にも支障が出始めたりする為ですが、不具合の修繕だけでなく、積極的に改善したほうが火の周りが良くなるのではないかなど、都度工夫しています。

私が岡田窯で過ごしている50年の間に、窯の天井が徐々に下がり始めて危険だった事がありました。その時は天井だけ替える大修理を行いました。

岡田窯が誇る「登り窯」の変遷

萩焼の登り窯

現在の岡田窯の登り窯。燃えにくい鉄筋の支柱とスレートの屋根になっている

この登り窯の屋根は、かつて私が子供の頃は藁葺き屋根でした。登り窯の上に藁葺き屋根というのは、当然引火しやすく、実際に火が付いて水をかけたという話も聞いています。

昔はそれしか材料がありませんでした。私の記憶では最初の藁葺きから瓦葺に代わり、その次に瓦屋根、そこから今のスレートに変わっています。
もちろんその間に支柱も鉄筋に変わっています。それまでは木の柱でしたが、やはり火が燃え移るんですね。窯焚きの終わった後も火が出ることがあるので、窯焚きが終わった後も注意深く用心して見回っておりました。

その時代の変遷を経て、今日では丈夫で火事にもならない環境となっております。

50年経った今も、成果はわからない

岡田窯工房

── 萩焼を作り始めて50年ということですが、当初と今で変化はありますか?

そうですね。気がついたら50年経っていました。最初から50年先のことを思っていたわけではないという中で、日々常に前を向きながら今よりさらに一歩二歩前進しようとやってきました。
違うデザイン、新しい形、新しい釉薬などを目指しながら日々努力をしてきたつもりではありますが、それが50年経って成果が出ているかどうかは私自身にも分からないところです。

これは見てくださる皆さんに判断していただくということしかないんです。
けれども、まだ陶芸作家として活動できているのは、非常にありがたいと思っております。

まず第一に健康であること。そして後継者として息子も育ってきていますし、そういう意味では幸せだと思っております。

刺激を求めて生涯現役であり続けること

岡田窯8代目

── 陶芸家人生50年振り返ってどうでしょうか。印象に残った話を聞かせてください。

50年というのは長い年月で、当然色々ありました。
多くを教えていただいた先生方など、沢山いらっしゃいます。また、私自身も大学で20年間教鞭を執り、陶芸の指導を行った思い出が、走馬灯のようにぐるぐる回ります。

私たちは毎年、伝統工芸展に出品することによって自分の評価をしていただくのですが、これが非常に厳しい審査で、うっかりしてると簡単に落ちるんです。

時々私も作品を変えたりすると落ちたりします。そういう試練も乗り越えることによって自分の努力不足、あるいは自分の目指そうという事に対する評価が違うのかなど沢山の刺激を受けています。毎年今入学試験を受けてるようなものですね。

刺激を求めて生涯現役であり続けること

萩焼づくり

同じ萩焼作家でも色々な生き方がありますが、私自身は自分に対して常に刺激を求め、例え落ちてもくよくよせずに常に前を向いて歩み続けよう、生涯現役で頑張ろう思っているところです。

50年の中で特に思い出が強いのは、やはり仲間と行ったシルクロードです。私と同じ歳ぐらいの仲間たちでしたが、半分はもう亡くなってるんですね。周りを見回しても、健康でまだこの仕事ができるのはありがたいなという思いでいっぱいです。

焦らず慌てず自分の思う道をこれからも進んでいきたいと思っております。息子も自分の道を歩んでおり、自分の人生をしっかり見極めながら頑張っていくようですので、信じております。

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